2007年 09月 30日
9月10日 ペルピニャン⑥ |
~ダトサン~
ダトサンのお店は閉じられていた。
数週間前に電話したら電話番号が使われていなかったので、もしやとは思っていたけれど。
お正月にもらったカードには商売が上手く行っていないようなことが書いてあった。(ダトサンは達筆過ぎるため詳細は不明)
とりあえず近くのお店の人に尋ねてみる。電話帳まで出して来て調べてくれるが分からない。上の階には親戚が住んでいると教えてくれたので、だめもとでメッセージをポストに入れてきました。
※串刺しの牛丼を出す日本料理店「花火」もなくなってましたよ。
ホームステイの短所は食事内容を自分で決められないこと(もちろん、長所でもあります。いろんな珍しいものを食べさせてもらいましたから)。
お醤油と野菜に飢えていた私達はダトサンのアジアチックなお惣菜、食料品店を見つけた時には興奮しました。野菜たっぷりの炒め物やチャーハン!インスタントラーメンもある!
店主のダトサンは織田祐二とジャッキー・チェンを足して2で割ったようなベトナム人。いつもきびきび働いている。ダトサンは同じアジアチックな私達に親近感を持ってくれていろいろ話しかけてくれました。ダトサンのフランス語はなまりがあるし、私のフランス語力では聞き取ることも話すこともままならない。それでも、ダトサンは栗拾いやダンスパーティー(ダトサンは社交ダンスの名手だった!)に誘ってくれて、お店に行くといつも売り物のジュースを飲ませてくれた。
ダトサンのご両親はフランス語が話せません。たまに街で会ってもにこにこ笑うだけ。
一度、お母さん手作りのベトナムのお菓子をもらいました。「えっ?手作り?」というほどのすごい緑色。でも食べてみたら、ほんのり上品な甘さですごくすごく美味しかった。緑色は緑豆の色だったんですね。
私が帰国する時には香水(すごい匂いだった)をくれました。それとベトナムの笠もくれようとした。(でも辞退してしまった、スーツケースに入らないので)
ただただ同じアジアチックというだけで、心を開いてすごく良くしてくれた。すごく大きな心。私は何もできなかったなのに。
ダトサンは毎年、旧正月にカードとチョコレートを送ってくれる。
今後、連絡は取り合えるのだろうか。心配です。
ダトサンのお店は閉じられていた。
数週間前に電話したら電話番号が使われていなかったので、もしやとは思っていたけれど。
お正月にもらったカードには商売が上手く行っていないようなことが書いてあった。(ダトサンは達筆過ぎるため詳細は不明)
とりあえず近くのお店の人に尋ねてみる。電話帳まで出して来て調べてくれるが分からない。上の階には親戚が住んでいると教えてくれたので、だめもとでメッセージをポストに入れてきました。
※串刺しの牛丼を出す日本料理店「花火」もなくなってましたよ。
ホームステイの短所は食事内容を自分で決められないこと(もちろん、長所でもあります。いろんな珍しいものを食べさせてもらいましたから)。
お醤油と野菜に飢えていた私達はダトサンのアジアチックなお惣菜、食料品店を見つけた時には興奮しました。野菜たっぷりの炒め物やチャーハン!インスタントラーメンもある!
店主のダトサンは織田祐二とジャッキー・チェンを足して2で割ったようなベトナム人。いつもきびきび働いている。ダトサンは同じアジアチックな私達に親近感を持ってくれていろいろ話しかけてくれました。ダトサンのフランス語はなまりがあるし、私のフランス語力では聞き取ることも話すこともままならない。それでも、ダトサンは栗拾いやダンスパーティー(ダトサンは社交ダンスの名手だった!)に誘ってくれて、お店に行くといつも売り物のジュースを飲ませてくれた。
ダトサンのご両親はフランス語が話せません。たまに街で会ってもにこにこ笑うだけ。
一度、お母さん手作りのベトナムのお菓子をもらいました。「えっ?手作り?」というほどのすごい緑色。でも食べてみたら、ほんのり上品な甘さですごくすごく美味しかった。緑色は緑豆の色だったんですね。
私が帰国する時には香水(すごい匂いだった)をくれました。それとベトナムの笠もくれようとした。(でも辞退してしまった、スーツケースに入らないので)
ただただ同じアジアチックというだけで、心を開いてすごく良くしてくれた。すごく大きな心。私は何もできなかったなのに。
ダトサンは毎年、旧正月にカードとチョコレートを送ってくれる。
今後、連絡は取り合えるのだろうか。心配です。
by azura1
| 2007-09-30 13:57
| フランス・旅