2010年 07月 18日
お願いごと |
ささのはさらさら
うつくしい日本語だなぁと思って。
口ずさみながらムスコと作ったお飾り。
折り紙を切る時のじょきじょきの感じや、
ちぎった時の硬いびりびりの感じ。
手に付いたのりのべたべたがカピカピに変化する様子。
何度も味わったはずなのに、どこか新鮮でした。
願いごとはひとつ。
「ムスコの目が治りますように。」
斜視&遠視と診断されてから半年以上経ちました。
治療には至らず、経過観察中です。
最初に診ていただいた先生は直ぐにメガネをかけるようにと。
度数を測って選ばれたレンズの厚いことといったら。
ハリーポッターのようなムスコを見て泣き笑い状態でした。
慌しい昼間は平気だけれど、夜になると張り詰めた心が
暗闇にぎゅうーっと押しつぶされるようで、
涙がつらつらと出てきます。
「妊娠中の栄養が悪かったのかも。」
「添い乳のし過ぎで目が偏ったのかも。」
昼間だったら一笑してしまうようなバカな後悔。
「弱視になってしまったら。」
「お友達にいじめられたら。」
「余計に引っ込み思案になってしまったら。」
今考えても、どうしようもない不安。
上を見上げた時のまつげの感じが赤ちゃんの頃から
変わらないと思っていて、その懐かしい感じが
失われることへのかなしみ。
おっぱいに飛びついて来た時やほっぺにチュウした時の
メガネの冷たい感触を想像して。
そしてとっても怖いこと。
メガネをかけたムスコを連れて出かけたくないと
思ってしまったこと。
「小さいのに可哀想」って、「親の責任じゃないの?」って
思われたくないと思ってしまったこと。
私はまるでムスコを自分の都合のよい付属物みたいに
見てるんじゃないかって。
それに気が付いてから。
少しずつ少しずつ、涙の量が減っていきました。
目が弱いのも、おしゃべりが遅いのも、べったべった走るのも、
内気なのも、かんしゃくを起こすのも、寝起きが悪いのも。
みんなみんな私の可愛い赤ちゃんでした。
お座りすること、ハイハイすること、立つこと、歩くこと。
今までは出来るようになることにばかりに目がいっていたけれど、
(それはとても恵まれた幸せなことだったけれど)
これからは努力してもできないこともたくさん出てくるでしょう。
身体のこと、性格のこと、勉強のこと。
多分、できることや良いところは周りの方々にも
受け入れていただくことが易しいでしょう。
でも、弱いことや短所まで丸ごと受け入れてあげられるのは
親ならではじゃないかって。
だから、メガネをかけるようになっても。
来るなら来い!っていう気持ちです。
けれども、「目が治りますように・・・」って
短冊に書いてしまうのは。
やっぱりそれも親だからなんでしょうね。
by azura1
| 2010-07-18 06:08
| ムスコ